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実家の処分-良かれと思い贈与した結果が・・・

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私は一人っ子ですが、車で3時間の距離へ嫁ぎました。
(親不孝ですね、でもその時は愛の力で・・・)
というわけで、両親は高齢ながらも元気で二人で暮らしていました。

実家を処分することになった経緯

ところが5年前に父が病気になったことから、事態が急展開。

父はうちの近くの大学病院、その間母は我が家で過ごすことに。

入院2週間目くらいで、認知症っぽくなってしまった父。
入院前は車も運転し、PCも使えたのに、悲しいが高齢者入院あるあるです。

さらに母がうちの階段をふみはずして骨折、父とは別の病院に入院。

もう、次から次へと、てんやわんや


父母退院しても、二人だけの生活は無理だと判断。

父の病気も考えて、病院併設のサービス付き高齢者向け住宅をみつけ
母の退院と同時に入居しました。

残った実家をどうする?問題

次なる問題は築40年を超えた実家の行く末、
そのままにしておくのも心配、更地にするにしても解体費+固定資産税up。

近くのスーバーは数年前に国道沿いに移転、たくさんあった商店も次々と閉店。

そんな場所だから更地にしても、売れないに違いない。

思案していたら父の従兄弟が「住まわせてもらおうかな?」と言ってきました。

父の従兄弟(以下、B太郎とします)は市営住宅住まいの70才、
再婚した奥さんは58才(以下、B子とします)、息子さんは県外在住。

 

これは提案を受け入れるのがベストだと判断しました。

家を壊すより、住んでもらえるほうが父母も心安らかだと思ったし、
実家の数件隣りで一人暮らししているB太郎の姉も喜んでくれるはず。

解体費、ずっと続く固定資産税の出費を思えば、
もらってもらえるだけで十分と判断して、贈与することに。

父母には申し訳ないけれど、重荷が取れた気がしました。

贈与後に生まれた様々な不信感

しか~し、贈与が決まったあとにB太郎とB子の態度に疑問点が続々と。

贈与を決めたあとの段取りは、
①実家に父母を連れて帰り、思い出の品や必要なものを選ぶ。
②後日、私がその他の物を片付ける。
③不用品整理業者に廃棄を委託。

第一不信感発生

①の父母が実家を訪れたとき、
父がよろけて、玄関の引き戸のガラスを割りました。

父の粗相なので修理代は払うと伝えてその日は帰宅。
後日、躊躇なく修理代の1万円受け取ったB太郎夫妻。

私が払うと言ったものの、受け取らないのが普通じゃなかろうか?

書面上はもう彼らの家、それもタダでもらった家なのに。

 

第二不信感発生:家財の片付け
B太郎夫妻には、家財を廃棄する前に
「必要な物があれば残すので選んでください」と鍵を渡しておきました。

後日、私が片づけをしていたら、B子から、
「押し入れにはいっているバッグもらっていい?」との言葉が・・・

うわうわ、そんな中まで見たんだ、バッグまで欲しいですって?!
もちろん断りました。まだ母はバッグ使います!

B太郎も父のスーツやコートがほしいと言ってきました。
これも断った。

私が残すものとしてイメージしたのは、家具や電化製品だったけれど
彼らは色んなところ開けて、くまなくチェックしたんだ。

その光景が思い浮かんで、スーっと気持ちが冷めていくというか、
素直を通り越した厚かましさにドン引き。

 

第三不信感発生:仏壇じまい、墓じまい
家の処分とともに墓じまいや仏壇じまいもしました。

B太郎夫妻も同席。

仏壇じまいのお経が終わったあと、B太郎がお坊さんに一言。

「魂抜きした仏壇は、別の人が使ってもいいでしょうか?」

はあ?仏壇も欲しいってこと? 初めて聞いた。
私に尋ねる前に、お坊さんに聞くなんて、失礼すぎやしませんか。

来てくれたのも、このことを聞くため??? 

ド厚かましさの極みは、後日、墓地も欲しいと言ったこと。
手続き費用がだせないのか、面倒なのか、この件は立ち消え。


最大級:第四不信感発生

B太郎は大風呂敷広げるタイプだし、おしゃべり。
なんだか嫌な予感もしたので、じつは贈与税も、うちが支払いました。

もちろん領収書はちゃんと書いてもらってます。

やはり嫌な予感的中!
B太郎は彼の姉に、実家を買ったと言ったそうな。

B太郎の姉が、私に「安くで売っていただいて申し訳ない。」と言ったことで判明。

すぐにバレそうなことをよく言うわ。

B太郎のことだから、近所やら友達にも、買ったといってるのだろう。

怒りよりも、はいはいお好きにどうぞ。もう、どうでもいいわ、な気分。

さらに後日判明したこと

B太郎は遠縁の親戚に、
父から「ぜひ住んでほしいといわれたので買った」といったそうだ。

やっぱりね、B太郎最低!!
 

切なかったこと

それから数か月後、贈与した実家の近くに用があり寄ってみることに。

近くに行くと、明かりついているのがみえた。

ん? 引っ越したという電話すらせずに、住んでる?

玄関前の植え込みには、LEDランプが何本も挿してあってアプローチがキラキラ。


ああ、もう「よその人の家」なんだという切なさと
連絡もなく住んでるんだという憤りで、挨拶もできず。

結局引っ越しの連絡はなく、住所変更された年賀状が届いた。

 

このように色々あったけれど、
贈与後はお中元お歳暮をいただいているし、
一昨年末亡くなった父の葬儀にも参列、涙を流してくれた。

その姿にわだかまりも消えた。

 

しかし一昨日、B太郎夫妻のさらなる悪事が判明。

この件がなければ、前置きとしてこのブログも書くつもりなかったのに。


次回に続きます。